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  しむかっぷでむかしむかしあったこと 
「大晦日」 早出昭寛さん 1928(昭和3)年生まれ
 
 「大変だったけど、でも今より楽しかったよぉ。」「いろんな事やったよねぇ。今となっては、ほんと夢みたい。」と早出さん夫婦は、懐かしそうに言った。早出昭寛さんは昭和三年、字占冠の生まれ。生まれたのは、家とは名ばかりの吹雪けば中を粉雪が舞うような掘っ立てだった。
 明治四十三年、長野県から十三戸ほどの集団で、札幌へ入った祖父の早出林太は神社仏閣専門の柾屋(まさや)で、最初の円山神宮の建設に携わった一人だったが、その後、借金の保証人になって財産をすっかり取られ、占冠へ移って来た。
 祖父がわざわざ大きな木のある原野に入ったのは、切り出した大木を柾木にできるからだ。家は代々の柾屋だった。占冠では、拓いた土地で半分農業もしながら、父親杉太も自分も柾屋の仕事を受け継いだ。
 柾とは、丸太を柾目に割って作る薄い板。木を山から切り出し、引いて来た丸太をちょうど一尺の長さに切り、太いものなら八つくらいにみかん割りにし、これを端から一寸の厚さに割って、さらにこの一寸を十六枚に黙々と割る。そうして出来た柾で屋根を葺くところまでが柾屋の仕事だ。
 家を建てる人が、材にする木を村から払い下げてもらうと、その木を切りに行って、柾作りから柾葺きが終るまでその家に泊まり込んで作業した。ここいらへんの家で葺かない家はないくらいだったから、泊まり込みが続いて自分の家にいるより、よその家にいるほうが長い時もあったほどだった。
 しかし、昭和三十年頃からトタンが柾に取って代わり、柾屋は三十歳頃でやめた。それ以前の古い家のトタンの下には、今もその柾葺き屋根が残っている。
 父は十二歳から十年間、札幌の酪農家に奉公していたので、本流から字占冠に移ってすぐに牛を飼いはじめた。占冠村では牛を飼っている家はまだなく、村のすすめで牛を飼う人が増えてくると、父親は飼育の指導をすることになった。仔牛の取りあげ方や、乳の搾り方を遠くまで出て教えていた。小学校の五年生の頃から毎朝三時に起きて牛の乳を搾り、沸かして二合ビンに入れ、学校までの道のりに、十本以上を背負って字占冠の市街を配って歩いた。たいへんな仕事で本当につらかった。いろいろな事をやってきたが、今考えてもこれが一番つらかった。大人になっても牛は絶対に飼うまいと思った。
 亜麻とハッカは農家ではどこでも作っていて、夏には亜麻を、秋にはハッカを干している光景があちこちで見られた。六月の亜麻畑は一面薄水色の小さな花でいっぱいになる。亜麻は一等品と二等品では買い取ってもらう金額にたいへんな差があったので、きれいな亜麻色にするのに気を使って干した。納めた亜麻会社から、ときどき還元品として亜麻の繊維で作ったタオルやふろしきをもらった。乾燥させたハッカは、今の丸枡木材の横あたりにあった共同釜で蒸留するんだけど、馬車に三台も四台も持って行って、採れるハッカ油は一升瓶一本くらいだったから、それは大分良い値で買ってもらえたんだと思う。

 小学校一年生の時に、家のすぐ横の林道を十キロくらい入った所にクロム鉱山ができた。当時は戦時中で鉄が足りなかったので、こんな所まで鉄鉱を求めて入ったのだ。その鉱山が出来る一年ほど前からは、鉱山までの道路付けの工事が始まったが、これが不思議だった。
 たった一年やそこらで、馬が通れるくらい立派な十キロ以上もの道ができたのだから、相当たくさんの人が働いたはずなのに、そんな大人数がいつその飯場に入って、いつ帰って行ったのか誰も見ていないのだ。
 親が働いていた畑まで行く途中、家から五百メートルほど入った所に道路工事の飯場はあり、その先で道路付けのために山を崩しているのが見えた。中に三、四人ずつ縄でつながれて青い上下の服を着て作業をしている人たちがいた。近くには看守らしき人が長いピッケルのような棒を持って立っている。小学校へ上がる前の子どもにとっては訳が分からず、なんでつながれてんだと親に聞いた。「悪いことをして牢屋に入れられた人がああして働かされてるんだ。お前も悪いことするとああなるんだぞ」とおどかされた。
 米などなかなか食べられなかったあの時代に、その飯場のおばさんは米のおにぎりやご飯のおこげを砂糖で包んだお菓子、あめ玉などをくれた。もののない時代に一体どこから手にいれてたのだろうと思う。飯場は怖ろしかったが、お菓子を目当てに小さな妹の手を引き毎日かよった。
 クロム鉱山ができると、大きな別の飯場が家のすぐ裏に出来た。宿舎や馬小屋、採取したクロム鉄鉱を入れておく小屋、食料を入れておく横穴などがあった。今では跡形もないが、百人以上の人が働いていて、夏には盆踊りなどもやっていた。今ではまるで夢のように思い出される。
 クロム鉱山ができたことでニニウや他町村からも働き手が集まり、造材景気も相まって占冠地区には、高谷木材、木村旅館、水口さんの豆腐屋、長谷川さんの刃物鍛冶屋、大崎のじいさんとばあさんの呑み屋、遠藤商店、杉山商店、原木工場、小野寺さんの床屋、など、店や民家が立ち並びにぎやかであった。
 クロム鉱山での採取は、昭和十三年か十四年頃まで五、六年続いた。
当時、金山駅に向かう家の前の街道には夕方から馬そりがずらりと並び、金山まで荷を上げて行く。ギュウギュウと雪を踏む音と馬鈴のシャンシャン鳴る音が、一晩中寝床の中まで聞こえていた。(2003年2月取材)
 
 
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