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  しむかっぷでむかしむかしあったこと 
「峠越えのラーメン」 石上正勝さん(1942(昭和17)年生まれ)
 
 石上さんは、五人兄妹の末っ子として戦時中の昭和十七年に旭川で生まれ、四歳の時下トマムへ開拓農家として移住。一家は夏は農業、冬は山仕事をして暮らしていた。
 当時の下トマム地区には、街道沿いに四十軒、林道の奥も含めると五十軒以上の農家が暮らしており、物はなかったが活気があった。生活の物資はおもに幾寅から峠を越えて届いた。中央へ続く現在の道は通る人もなかった。
 下トマム小中学校には子どももたくさんいた。石上さんの家は学校に近く、お昼ご飯を食べに帰ったりしていたが、五キロ以上離れたホロカトマムの奥からスキーで通ってくる子どももいた。雪が降るとなくなってしまうような細い道だった。
 小学校の頃はちょうど戦後の食糧難の時代。「当時はザリガニやカケス、カジカ、山ネズミ(エゾリス)など何でも食ったね。ザリガニはストーブで焼くと真っ赤になる。カケスは罠を作って捕ったし、カジカはミミズで釣った。青首大根も畑から引っこ抜いてがりがり食ったもんだ。青い所はちょっと甘くてうまいんだよ。」と言うほどに常に飢えていた。畑では麦、えん麦、アワ、ヒエ、じゃがいも、キャベツ、カボチャなど作っていた。食卓には、まず畑で採れたカボチャやいもが載る。それを先に食べてから、ご飯が出る。できるだけご飯を食べないようにする工夫だった。ご飯といってもほとんどが麦。現在は健康食で麦を食べる人がいるが、「わざわざ食べたくはない。」そうだ。そばも植えた。当時は各家庭にあった石うすで挽いて粉にして、打つ。延ばして切るときに端は半端になる。これを薪ストーブで焼いて食べた。お客が来た時など特別な時は、そばにとり肉が入る。もちろん飼っていた鶏を絞めて食べるのだ。そんなごちそうは稀だった。
 薪ストーブは部屋を暖めるだけではなく、現在のレンジのような調理器具だった。ドラム缶を縦に半分にして、丸い方を下にして寝かしたような形で、上部には二箇所、簡単に取り外し出来る蓋がある。蓋は鍋の大きさに合わせて、三重に取り外しが可能で、大きい手前の蓋の所でお釜でご飯を炊いて、小さい奥の蓋の所で調理したりしていた。夏でも薪ストーブで調理した。当然、薪は年中必要だ。春に営林署の払い下げで、山から皆で木を切り出す。チェーンソーなんかない時代、マドノコという立木専用のノコで切った。ナラ、樺、イタヤ、薪には固い木が良い。運んだ材を薪にするのは、子どもの仕事だった。薪切り台に乗せてノコで切り、マサカリで割る。木の目を見極めて割るのはコツがいる。薪小屋には常に薪をいっぱいにしていた。
 冬は薪ストーブで石を焼いて、湯たんぽがわりにした。水をかけて温度調節して布にくるみ、ふとんに入れた。大家族の所は薪ストーブの上に十個も石が乗っていた。夜寝る時は、木のコブの部分をストーブに入れる。コブは目が混んでいて簡単には燃え尽きない。じわじわと朝まで火種が尽きないのだ。それでもふとんの息がかかる所は霜で真っ白になった。正月についたイナキビや米の餅は部屋の隅に置いておくと自然に凍っていた。壁も板張りで今のように断熱材が入っているわけでもなく、窓ガラスには新聞紙で目張りして何とか寒さをしのいだ。厳しい冬を越えた春はまた格別だった。
 中学二年の春三月、横浜の大学を出て下トマムに赴任した細谷先生に、ラーメンなるものを幾寅まで食べに行こうと誘われた。一級下の工藤武と三人で片道十八キロある峠を越えて、当時切り出しの材が所狭しと山積みにされていた幾寅駅前の店で、醤油ラーメンを生まれて初めて食べた。「今考えれば、たいしたラーメンでなかったと思うが、とにかくおいしかった。麩が載っていたのは覚えてるけど、チャーシューとか支那竹とかは載っていたのかどうだったのか覚えてないね。」三人はラーメンを食べて、また十八キロの峠を越えて下トマムに帰った。帰りつく頃にはすっかり日も暮れていた。バナナやマシュマロをはじめて食べたのも忘れられない。バナナは、小学校四年か五年の頃。親戚から送ってもらって食べた。「世の中にこんなうまいものがあったのか。」という程うまかった。マシュマロは、中学生の頃。上トマムの小中学校と年一回の野球の対抗試合があり、十五キロを歩いて上トマムまで行った時だ。試合でヒットを連発し、敢闘賞だか猛打賞だかをもらった。景品はうやうやしく紙箱に入ったマシュマロだった。「うわぁ、やわらかくてうまいもんだなあ。」と、感動した。
 石上さんは、下トマム中学校を出たあと、富良野に下宿してシカタ納豆店に勤めながら富良野高校の定時制を卒業。集団就職で一年間横浜へ行ったが水が合わずに帰り、旭川で長年タクシーに乗った。トマムにリゾートが出来ると聞いて、特技のスキーも生かせるならと一九八三年に、就職という形で生まれ故郷へ帰ってきた。昨年(平成十四年)十二月には定年を迎え、現在も嘱託職員として、下トマムで鍛えた父親譲りの大工仕事で、リゾートを裏側から支えている。同じく昨年、同窓会をニ十年ぶりに旭川で開き、当時の下トマムの思い出を皆で語り合った。一緒にラーメンを食べに行った細谷先生も出席してくれた。(2003年2月取材)
 
 
  中学生の頃。後ろには積み上げた薪や大根、ニオが見える。
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