2022.02.21
源流から海へ135kmの旅
源流から海へ135kmの旅
占冠村トマムを源流とし、むかわ町で太平洋に注ぐ一級河川「鵡川(むかわ)」。占冠村にはこの鵡川の源流部が流れており、村の集落は鵡川に寄り添うように開かれています。占冠村は面積の94%を森林が占めており、この広大な森林が鵡川を涵養しているのです。しかしながら開拓時代から昭和30年代までの大規模な森林開発により、森の木々は次々と伐り倒され、それに伴って鵡川も水量が減りました。現在の水深は当時の半分とも三分の一とも言われています。これらの林業全盛期には山で伐った木は春先の増水を利用して、流送という形で鵡川を使って下流に運ばれていました。本州からの流送職人や船大工などを含む多くの人が村には溢れ、飲食店や商店は大変繁盛しました。村には遊郭まであったということです。鵡川はアイヌ語で塞がるを意味する「ム・カ」が語源とされているとおり、流域は非常に崩れやすくやわらかな地層でできており、その結果崩れた砂により非常に河口が塞がりやすくなっています。現在でも河口は砂が堆積し、漁業などへの影響を考えてしばしば重機による掘削が行われています。
また、鵡川の本流には幸いなことに大規模ダムがありません。(支流の双珠別川には発電用ダム、穂別川には農業用ダムがあります)これには昭和34年に占冠村で起こったダム反対運動が大きく関係しています。北海道開発局によって鵡川本流赤岩に建設が予定された「赤岩ダム」は貯水量3億5千万トン、電力9万キロワットを生みだす大規模ダムで、このダムが出来れば占冠村の主要地域を含むほとんどが水没するというものでした。これに対し村民が一丸となって反対運動を起こし、1961年(昭和36年)正式に中止となりました。反対運動によるダム事業中止は大規模多目的ダム事業としては日本初でした。本流にダムのない鵡川では、上流部で生まれた山女魚(ヤマメ)が海に下って大きくなって帰ってくるサクラマスもみられます。昭和30年代までは夏に赤岩で行われる青年団のサクラマス獲りは村の風物詩でした。しかし、中流部の発電用コンクリート堰(現在では壊れて放置)、河口近くの農業用取水堰(頭首工。後付の魚道はある)によって、その姿はほとんど見られなくなってしまいました。
河口のむかわ町は漁業がさかんで、特にむかわブランドのししゃもは市場で高値で取り引きされる重要な資源です。源流部の森と河口部の海は自然の循環の中で密接な関係があることが近年の研究で明らかになっています。源流部の森から川に落ちる落ち葉は分解されながら海へと運ばれ魚の餌となるプランクトンを養っています。また海から上がる鮭やサクラマスは源流部で産卵を終えて、ヒグマや狐など動物の重要なエサとなり、その栄養分が森を育てるのです。これらの関係の重要性を考えた、むかわ町、むかわ漁協、しむかっぷ村では、毎年合同で源流部への植樹活動を行っています。また近年では「鵡川 森の民・海の民」と銘打った交流が行われており、お互いの町を訪ね交流を深めながら、美しい鵡川の未来を支庁の枠を越えて話し合っています。
鵡川 源流から海へ135kmの旅
2009年10月1日~2日 近自然セミナー+α